『社会がもし100%アナログのままだったら』 情報漏えいは、こんなにも身近でわかりやすい
こんにちは。NO MORE 情報漏えいプロジェクト編集部のフジタです。
様々なところで「情報漏えいに気を付けよう!」と叫ばれているにも関わらず、なかなかなくならない情報漏えい事故。なんでかなぁ、どうしてこんなに解決するのが難しい問題なんでしょう?
それは、人の「意識」に依存されることがとても多いからだとフジタは考えています。
「これくらい大丈夫かな」「まさか自分に限ってね・・」という、どこか他人ごとの意識が、思いもよらない事件につながっているケースが、多くみられますよね。
個人に忍び寄るネットストーキングや詐欺の被害だったり、大きな情報漏えい事件による企業の莫大な損害だったり。ことが起きてしまったら、きっと後悔すると思うんです。あの時、もっと注意しておけば防げたのに・・って。
そんな後悔をしないために、NO MORE 情報漏えいプロジェクトでは、情報漏えいを「他人ごと」から「自分ごと」にしてもらおうと活動しています。ところがなかなか意識を変えるのは難しい。
「自分ごと化」って・・・どうやったらできるんでしょう?
『世界がもし100人の村だったら』
「世界がもし100人の村だったら」という話をご存知ですか?
もし 現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。その村には・・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます。52人が女性で
48人が男性です。~中略~
80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調で苦しみ
ひとりが瀕死の状態にあり、ひとりは今、生まれようとしています
ひとり (そう、たったひとり) は大学の教育を受け
そして ひとりだけがコンピューターを所有しています
63億人が暮らす広い世界を100人の村にたとえ、世界中の人々に支持された有名な話です。これは、広すぎるが故になかなか実感のわかない世界や、テレビ越しにしか見えない遠い国の人たちへの理解を深め、「自分ごと」として感じられる、素晴らしい例だと思います。
そこで、フジタは考えました・・・。情報漏えいで同じように「もしも」の話を作ったら、自分ごと化できないだろうかと。
『社会がもし100%アナログのままだったら』
現在の社会では、IT技術が進化し、ありとあらゆる情報がデータとして扱われています。パソコンやスマートフォンのない生活は、今や想像できないほどですが、はじめてパソコンが登場したのは1970年代。ほんの数十年前までは、いわゆる『アナログ』の世界があったわけですね。
では、身の回りで当然のように使っているIT機器やサービスを、アナログに置き換えてみましょう。重要な情報を私たちはどのように扱っていることになるのでしょうか。
■パソコン
パソコンは、ありとあらゆる情報や写真や文章を入れた、大きな机でしょうか。
あなたは、机の中にたくさんの書類やノートや手紙やその他たくさんのものを仕舞っているわけですね。大事な書類はちゃんと分けて保管していますか?机の上(デスクトップ)は整理されていますか?
おやおや・・なくしちゃいけない重要な機密資料や顧客情報を、なんと机の上に置きっぱなしですか。丸見えですよ・・・。ちゃんと鍵付きの保管庫が、会社で用意されているはずなのになぁ。そのまま席をはなれて、出かけることもしばしば。「うっかり」帰宅してしまうこともしばしば。
近い将来、その書類をなくしてしまっても、もちろん不思議はありません。
■パスワード
いろいろなサービスをうけるために発行されるパスワード。これは鍵ですね。
銀行でお金をおろすにも、お店で買い物をするのにも、大事な書類を保管するにも、必ず鍵を作らないといけません。
え?あなた・・全部同じ鍵を使うんですか?その鍵をなくしたら、悪い誰かに拾われたら、全部勝手に使われちゃいますけど、大丈夫でしょうか。
しかも・・・その鍵なんだか簡素なつくりだなぁ。私にも簡単に作れそう。
■メール
最近、大事な手紙の宛先を間違えちゃった・・なんていう声が聞かれるんですけど、送るときには確認してほしいなぁ。1回ポストにいれちゃったら、取り出せないんですよね。
それから、その封筒の中に、大事なもの・・そうですね、たとえば「お金」とか「顧客情報」を入れて送ったりなんか、しませんよね。大切なものを送るときは、それなりの方法をとって送らないといけません。一度手元を離れる以上、誰の手にわたってもおかしくないのだから。
受け取った人も、びっくりしちゃいます。こんな大事なものを普通の手紙と一緒に送ってくるのか、この人はって。
■SNSやインターネット上の書き込み
すっかり浸透したSNSやブログ等、インターネットへの書き込みは、日記や文書を綴ったチラシを世界中に配り歩いている、といったら言い過ぎでしょうか。
写真をのせて、実名をのせて、内緒話をのせて配られたチラシは、友達の手からさらにその友達の手にわたっていきます。時には、世界中にある大きな掲示板に、でかでかと掲載されることもあるかもしれません。
チラシを見た友人から「見たよ!」って言われると嬉しいですね。交流するのは楽しいですね。でもそのチラシは悪い人の手に渡っても大丈夫でしょうか。
回収?すいません、それは無理ですね・・・もう世界中に広まってしまいましたから。
まとめ
さて・・・少々強引でしたでしょうか。この情報漏えいを引き起こす「もしも」。
こんなことはしないよ、という人がほとんどだと思います。自分の写真をのせたチラシを知らない人に配り歩くなんて、するわけないだろうと思いますよね。ただ、SNSが背負っているリスクは同じはず。ものが変われば扱いも、感じ方も変わってしまってしまうんですよね。
技術やサービスが進化するにしたがって、取り扱う「情報」は形のない「データ」となりました。気軽に便利に扱える反面、はるかに広がっているリスクすらも実感できなくなっていませんか?
便利なサービスは活用していけばいいと、私は思います。FacebookもTwitterも大好きです。ただし、隣り合わせにあるリスクをしっかり実感しておく必要があるのではないでしょうか。この記事が、あなたの「自分ごと化」に少しでもお役に立てばと願います。
さて、そんなことを考えながら、散らかったデスクトップを整理しているフジタです。今日の活動は、空想をしただけでしたが、活動報告として認めていただけるでしょうか・・・。

セキュリティソフトメーカー勤務歴2年。
本サイトの管理人。「NO MORE 情報漏えい」で読者と一緒にセキュリティを勉強中。簡単になんでも真に受けるため、だまされそうになった経験多数あり。